初代 三宅寅三 院長
1947年(昭和22年)
三宅寅三は、九死に一生を得て復員し、名古屋市立大学病院に復職、吉田義治教授のもとで、助教授を務めていた。
三宅寅三、名市大助教授時代吉田義治教授らと
開業直前の三宅寅三、名市大病院助教授の頃
1954年(昭和29年)4月
当時、名市大助教授をしていた初代院長の三宅寅三が、名古屋東大曽根に三宅眼科を設立した。当時の名古屋において眼科手術の第一人者であり、白内障嚢内摘出術、網膜剥離、角膜移植など、幅広い手術を行った。
三宅眼科で手術に情熱を傾けていた初代寅三院長
1958年(昭和33年)
三宅眼科増築 5床→15床
- 1960年頃の三宅眼科の全景
- 1960年頃の三宅眼科 航空写真
小学校の手前の建物
1960年(昭和35年)
愛知県アイバンクの前身組織を杉田慎一郎先生(眼科杉田病院の2代目院長)、不老会会長久野庄太郎氏らとともに立ち上げ、眼球摘出と角膜移植を積極的に行う。また、啓発活動にも情熱を傾けた。
初代院長 寅三 アイバンク問題でテレビ出演
初代院長 寅三